読めそう!? でも 読めない! ヴォイニッチ手稿
【ヴォイニッチ手稿とは?】
ヴォイニッチ手稿は謎の文字で書かれた絵入りの古文書
“ヴォイニッチ手稿”という名称は、発見者であるポーランド系アメリカ人の古書籍商、ウィルフリド・ヴォイニッチにちなんで名付けられました。
1912年、ヴォイニッチはイタリアの僧院で発見された彩色写本のコレクションの中に、不思議な本が一冊あるのに気付きました。
それは小型の四つ折り判で、およそ 23cm×16cm の 仔牛皮紙(ヴェラム)に手書きの文字、植物や天体とおぼしき挿絵が描かれたものが246ページ程ありました。
13世紀後半のものと思われましたが、10ページほどの欠損といくつかの表面の剥離を除けば、保存状態は極めて良好でした。
しかし、誰もこの本の内容を知ることは出来ません。
なぜか。
まずはこちらをご覧ください。
一見すると、普通のアルファベットと数字のようです。
しかし実は、この世界中でおそらく誰一人として知る者のいない文字または記号の配列なのです。
この古文書には211ページ分の挿絵がありますが、そこから内容を推し量ることもできません。
なぜなら、描かれている植物は、いずれもどこかで見た事があるような形をしていながら、実際には特徴の一致する物が見当たらない物ばかりだからです。
下の天体のような図は植物の断面図のようでもあり、農耕の時期を示す物のようでもあります。
しかし、どちらも絵だけで判断することは不可能で、肝心の説明文は全く解読不能。
完全にお手上げなのです。
ヴォイニッチ手稿の文字については、世界中の言語学者や暗号解読者が挑戦しましたが、既存の言語および暗号とは特徴が一致していません。
しかし言語学的な分析から、ヴォイニッチ手稿に書かれているのはでたらめな文字の羅列ではなく、自然言語か人工言語であると判断されています。
- 自然言語 … 文化的な環境で自然に発展した言語
- 人工言語 … 特定のコミュニケーションのために、文法や語彙を人為的に作った言語。また小説などの世界観を表すために作られる架空の言語
なお、第二次世界大戦時に数々の暗号を解読し、暗号解読の天才と呼ばれた ウィリアム・フリードマン も、人工言語の可能性を示唆しています。
【ヴォイニッチ手稿について分かっていること】
1.測定で割り出された用紙の年代
2011年、アリゾナ大学物理学科の Greg Hodgins チームが、ヴォイニッチ手稿に使われている仔牛皮紙の放射性炭素年代測定を行った結果、15世紀初頭の物であることが判明しました。
UANewsが報じたところによると、1404から1438年まで範囲を狭めることが出来たそうです。
これはあくまでも用紙の年代であって、手稿の執筆年代と同じとは限りません。
もっと後の時代に、古い用紙を入手して作成することも可能だからです。
インクを放射性炭素測定することが出来れば、執筆年代も知ることが出来るのでしょうが、残念ながらそれは難しいとのこと。
前述のHodgins氏はこう述べています。
“炭素含有量は、通常とても低いものです。また、インクは羊皮紙に乗っているわけで、その羊皮紙由来の炭素を含まないインクの試料を採取することは、現在のところ私達の能力を超えています。
最後に、いくつかのインクは炭素由来ではなく、鉱物由来です。それらは無機で炭素を全く含みません。”
2.手稿以外の資料から分かること
ウィルフリド・ヴォイニッチは、手稿の表紙に一通の書簡が添付されていたと主張しました。
その書簡によると、神聖ローマ皇帝 ルドルフ2世(1527~1612) の元に手稿を持ち込んだ者がおり、その者曰く「これはロジャー・ベーコンが著した書物である」と。皇帝は手稿を600ダカットで買い取ったそうです。
この書簡が本物であるならば、手稿は1612年までに作成されていることになります。
3.書簡の真偽
それでは、書簡の信憑性はどうでしょうか。
例えば、手稿はヴォイニッチ本人が作成した物で、書簡はもっともらしく見せるために偽造されたのではないか?と考える事も出来ます。
実はこの書簡については、「ヴォイニッチ写本の謎」(ゲリー・ケネディ&ロブ・チャーチル著 松田和也訳)が詳しいので、以下参考にさせて頂きたいと思います。
まず、書簡はプラハの大学総長 ヨハネス・マルクス・マルチ から、ローマの学者でイエズス会の司祭 アタナシウス・キルヒャー に宛てられています。
「ヴォイニッチ写本の謎」より以下に引用します。
なお引用元は文語体のため、読みやすいよう口語訳しました。
“いとも尊く名高き猊下
この書物は、ある親しい友の形見として受け取った物ですが、内容を見て直ぐに、貴殿に差し上げるべき物と判断致しました。崇敬せずにはおられないアタナシウス殿、なぜならば貴殿をおいて他にこの書物を読み解ける者はこの世にいないからです。かつての持ち主もあなたのご高察を賜るべく、手紙と共に一部分の写しをお送りしましたが、書物自体を送ることはしませんでした(後略)”
全文を読んでみると、手紙の向こうの マルクス・マルチ は平伏しているのではないかと思う程の絶賛ぶりですが、どうやら アタナシウス・キルヒャー は、非常に広範囲な分野の学問を修めた並外れて博学多才な人物だったようです。
このキルヒャーという人物、大層物持ちがよく、他の学者から寄贈されたり、どこかから送られてきた物品(大量の科学機器や自然界の珍品など)を溜め込んでいたとか。
もちろん、書簡類も保存しており、そこに マルクス・マルチ の親しい友が送ったという手紙が残っていたのでした。
といっても、解読を依頼したという最初の手紙は現存しておらず、残っているのは二通目とみられる「先日送った文書の解読はどうなっていますか」という問い合わせの手紙の方です。
それでも、1639年4月27日の日付が入ったその手紙には、数多くの薬草の絵、星や科学の秘密を語る図解が含まれており、それがヴォイニッチ手稿である可能性は高いと思われます。
受取人であるキルヒャー側に、関連する書簡が残っていたことで、先の マルクス・マルチ の書簡も本物と判断されることとなりました。
4.結論
以上のことから、ヴォイニッチ手稿の作成年代は、1404年~1612年頃と考えられます。
*赤月の考察*
この誰にも解読できない手稿は、一体何のために作られたのでしょうか。
ある者は暗号解読の観点から、またある者は植物学の観点から、それこそ世界屈指の専門家達が挑戦しましたが、ことごとく退けられてきました。
私はそういう分野の専門知識は持ち合わせていないので、一個人の自由な発想として考察してみたいと思います。
【読めない文字の謎】
そもそも、なぜ解読不能の文字を使う必要があったのか?
理由として、以下のことが考えられます。
- 異国の珍しい古書として高く売るため?
- 秘密の情報を他人に知られず記録するため?
- もしかして楽譜?
- 単なる筆跡の癖?
それでは順番に考察していきましょう。
①異国の珍しい古書として高く売るため?
16世紀頃、ルドルフ2世がヴォイニッチ手稿を600ダカットで買ったという話ですが、今の価値に換算するとどれくらいになるのでしょうか?
まずダカットは金貨です。
2017年9月21日現在、金の価格はおよそ ¥5,050/g 。
1ダカットはおよそ 3.5g。
5,050×3.5=17,675
それを600ダカットに当てはめると、
17,850×600=10,605,000
現代の貨幣価値に無理矢理あてはめた結果なので、
実際にはもう少し低いかもしれませんが、500万~1000万円くらいと考えると、かなり高値です。
一方で、制作費はどれくらい掛かっているのでしょうか?
これについては、日本で実際に羊皮紙を作成している方のサイトが詳しいので、ご紹介します。
「羊皮紙工房」
http://www.youhishi.com/manuscriptmaking.html
羊皮紙工房では装飾写本の作り方と共に、現代の金額に直すとどれくらいになるか算出した金額を載せています。
それによると、A6サイズ約400ページの装飾写本で、およそ150万円かかるとか。
※装飾写本
文中のアルファベットが所々装飾されていたり、
挿絵以外にも細かい花や草の文様が描き込まれていて、
それらが金箔や絵の具で彩色されているという、大変手間の掛かる豪華な写本。
ヴォイニッチ手稿はB5よりやや小さいサイズで約240ページ、羊皮紙より高価な仔牛皮を使っているようですが、金箔などの装飾はないのでもう少し安く抑えられるとして、100万円くらいになるでしょうか?
制作費の5倍くらいで売れると考えれば、手間をかけても作る価値はあるかもしれません。
そして、読めない文字にしたのは、内容がでたらめであってもばれないようにするため。
・・・・・・といいたいところですが、実はこの説は使えません。
なぜなら、最初に述べたように、フリードマンを始めとする専門家達が、ヴォイニッチ手稿の文字の並びはでたらめな羅列ではなく、自然言語か人工言語であると結論を出しているからです。
ということは、ラテン語か何かを製作者独自の人工言語に置き換えながら書いていった?異国の言葉に見せるために?
それはさすがに、手間と報酬が釣り合っていないように思えます。
結果として高く売れたのは事実ですが、文字の謎が立ちはだかっている以上、そのために作ったと決めつけることは出来ません。
②秘密の情報を他人に知られず記録するため?
絵から判断すると、可能性として挙げられるのは、
・錬金術
・占星術
・植物の品種改良
・薬の作り方
・医療
この中で、他人に知られたくなさそうなものは、
・錬金術
・植物の品種改良
・薬の作り方
でしょうか。
ヴォイニッチ手稿は複数のテーマを取り上げているようなので、上記3点を結びつけた独自の医学理論という可能性は十分考えられます。
臨床実験前に発想を横取りされないよう、自分にしか分からない人工言語で書き記したのか?
実際に持論を披露したら馬鹿にされたので、悔しくて自分だけの本を書き上げたのか?
そうだとするとこの文字は、自分と同じ考え方が出来る人物なら読み解ける、というものかもしれません。
あるいは考え方が異端過ぎて、迫害される恐れがあったから、内容を隠さなければならなかったのか?
中世の関連書物と突き合わせていけば、なにか解読の手がかりが見つかる、というのなら面白いのですが。
③もしかして楽譜?
楽譜では?と思う人は少なくないでしょう。
中世でも一般的には現代と同じ五線譜が使われていました。
なので、仮にヴォイニッチ手稿が楽譜であるなら、文字で書かれた特殊な物ということになります。
以下に、文字で書かれた楽譜の例を挙げてみましょう。
○セイキロスの墓碑銘
紀元前2世紀~紀元後1世紀頃の物といわれています。
古代ギリシア語による歌詞と旋律の指示が、墓石に刻まれています。
※ギリシャの音楽のはずですが、旋律からはエジ
プトを連想してしまいます。
○ウガリットの楔形文字で記された賛美歌
紀元前1400年頃の物といわれています。
粘土板にフリル語の歌らしき物が楔形文字で
刻まれています。
現シリアの西の方にあったという古代都市ウガ
リットの遺跡から発見されました。
※細野晴臣が音楽を担当した、杉井ギサブローの「銀河鉄道の夜」に
出てきそうな曲。
○雅楽譜
日本の伝統音楽である雅楽の譜です。
○尺八譜
河本逸童(琴古流)の譜面。
尺八に縁のない人から見た意味不明度は、ヴォイニッチ手稿と良い勝負。
○ABC譜
こちらは1991年にイギリスの Chris Walshaw によって開発された記譜法で、コンピューターで使用するものです。
年代的にはヴォイニッチ手稿と結びつきませんが、ABC譜の記述方法を見ていると、もしかしたらヴォイニッチ手稿も、近い考え方の楽譜なのでは?と思えてきます。
例)メリーさんの羊
X:1 (参照番号)
T:Mary had a little lamb (タイトル)
M:8/8 (拍子)
L:1/8 (基本の音符の長さ)
Q:1/4=100 (速さ)
K:C (調)
E3DC2D2 | E2E2E4 | D2D2D4 | E2G2G4 |
E3DC2D2 | E2E2E4 | D2D2E3D | C6z |]
C=ド D=レ E=ミ F=ファ G=ソ A=ラ B=シ
数字無し=8分音符
2=4分音符
3=付点4分音符
4=2分音符
6=付点2分音符
Z=8分休符
また、円形譜 や Harmonic Wheel というものもあるので、ヴォイニッチ手稿のこういったページは、もしかしたらその類かもしれませんね。
変わったところでは 舞踏譜 というものもあります。
ヴォイニッチ手稿の一文字ずつがステップを表しているかもしれない、と想像するのもなかなか面白いものです。
④単なる筆跡の癖?
この字や
この字
などは、装飾的です。
そこで、中世ヨーロッパのカリグラフィーを調べてみました。
ここに挙げた字体はいささか極端な例としても、このように装飾文字を意識して書いた結果、読み辛くなったということは考えられないでしょうか?
また、合字や略字が使われている可能性もあるのではないかと思います。
ただ、合字や略字があったとしても、使われている文字数があまりに少ないため、ヨーロッパのメジャーな言語ではないかもしれません。また、【3】の楽譜説にも通じることですが、発音記号のようなもので表記されている可能性も考えられます。
なんとなく解読出来そうに見えて、まったく取っ掛かりがない。
そんな手強い文字の連なり、ヴォイニッチ手稿。
あなたにも、ぜひ手がかりを追ってみて頂きたいと思います。