ヴォイニッチ手稿の植物たち

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【ヴォイニッチ手稿の植物の項を分析】

<挿絵の描き方から分かること>

奇怪な絵柄や謎の文字のインパクトから抜けると、まず気になったのは挿絵の雑さでした。

最初は、詳細に描かれているように思うのですが、見慣れてくるとあることに気付きます。

1.葉脈がない

小さい葉はともかく、幅広の大きな葉であっても、ほとんど葉脈が描かれていません。
花弁の細かいぎざぎざや、根とおぼしき部分の鱗のような物は描き込まれているので、一見よく観察されているように感じますが、それだけに葉のべったりとした描き方が気になります。

2.色塗りが下手

多いので箇条書きにします。

・輪郭からはみ出している
・細かいところに塗り残しがある
・ムラがあるべた塗り
・塗っている部分と塗っていない部分がある
・陰影がない

色数が少なかったり、塗っていない部分がある点については、染料を十分に揃えることが出来ないなどの理由があったかもしれません。
それも含めて、製作者は専門的に絵を描くような人物では無かったように思えるのです。

 

3.同時代の植物図譜との比較

雑に見えますが、このような描き方が時代の流行だった可能性もあるので、植物図譜の歴史を調べてみることにしました。

参考にしたのがこちら。
「植物図譜の歴史 ボタニカル・アート 芸術と科学の出会い」(ウィルフリッド・ブラント著 森村謙一訳)

これによると、ヨーロッパでもっとも実用的とされた植物学の書物は、一世紀にペダニオス・ディオスコリデスが著したギリシャ語の「薬物誌」で、1600年近く薬学・医学の基本文献とされてきた物ということです。

「薬物誌」の原著には図がありませんが、100年後に他の本草書(薬学書)を参考に図版が付記されました。
その後、ラテン語やアラビア語への翻訳や写本が繰り返されていき、中でも512年頃のウィーン写本(ユリアナ・アニシア古写本)は最も優れた植物図譜であったそうです。

現在でも十分通用するほど丁寧に描写されています。

 

7世紀になるとナポリ写本が作られました。
一見、ウィーン写本の図に劣らないようですが、厳密に比較すると“より簡略化し、粗雑にし、時には間違って写したもの”であることがわかるそうです。
その代わり、一ページに複数の植物を載せるようになったので、装飾性は上がっています。

 

12世紀にはノルマンディから入って来た新しい様式が主流となり、その特徴である左右対称と形式主義のために、植物画は抽象化され、モデルの植物が何であったのか識別不能となってしまいました。
これは長く続き、14世紀の終わり頃になって、ようやく自然主義の流れが訪れたのです。

15世紀後半になると、写実的な描写に陰影を施したレリーフ的な装飾が登場します。

Walters Art Museum Illuminate https://www.flickr.com/photos/medmss/

 

さて、ここで再びヴォイニッチ手稿に戻ってみましょう。
手稿の植物図は、15世紀以降の植物画の流れにはそぐわないように感じます。むしろそれ以前の描き方に近いようです。

そこでこう考えてみました。

ヴォイニッチ手稿の製作者は、ディオスコリデスの薬草誌などを手本にして、異国の言葉で書かれた古書のような物を作り上げたのでは?

 

<類似性のある書物を探してみた>

植物図譜の歴史を調べていく中で、興味深い文献を見つけました。

それは、1395~1400年頃に作られた「On Plants」。

この本草書には、ヴォイニッチ手稿に出てくる植物とよく似た絵が幾つかあるのです。

[On Plants – P203]

ヴォイニッチ手稿で似ている物

 

3r

11v

 

 

[On Plants – P215,244,567]

 

ヴォイニッチ手稿で似ている物


4r

20r

 

[On Plants – P290]

 

ヴォイニッチ手稿で似ている物

2v

 

ディオスコリデスよりも On Plants の方が類似性が高いので、ヴィオニッチ手稿の作者がモデルにした可能性は十分に考えられます。

 

<では、実在する植物を描いているのか?>

ヴォイニッチ手稿に登場する植物は、

・実在しなそうなもの:6割
・実在していそうなもの:3割
・実在する植物とかなり近いもの:1割

といったところです。

 

◎実在する植物に近いものとは?

1.ツクバネソウ属

私がかなり気になっているのは、これです。

 

[クルマバツクバネソウ]

葉の枚数、丸まり方など違いはあるのですが、かなりよく似ています。

 

ツクバネソウ属はどれもよく似ており、外国に26種、日本に3種の近縁種がありますが、写真ではなかなか区別できません。

○日本に生育している3種

・ツクバネソウ(Paris tetraphylla)
日本固有種。北海道、本州、四国、九州に分布。

 

・キヌガサソウ(Paris japonica)
日本固有種。本州の中部地方以北の日本海側に
分布。キヌガサソウ属(Kinugasa japonica)と
して分類されることも。

 

・クルマバツクバネソウ(Paris verticillata)
日本では北海道、本州、四国、九州に分布。
中央アジア、東アジアにも生育。

この3種の中だけでみれば、ヴォイニッチ手稿に取り上げられる可能性が一番高いのは、クルマバツクバネソウです。

外国に生育している種は中国に分布しているものが多いのですが、その中でヨーロッパに近そうなものを取り上げてみました。

・Paris quadrifolia
ヨーロッパからモンゴルに分布

・Paris incompleta
トルコ北西部からコーカサスに分布

 

いずれも“完全一致”という訳にはいきませんが、かなり近い形状ではないでしょうか。

また、こちらの絵はキヌガサソウを上から見た絵なのではないかと考えています。

 

 

ただ、キヌガサソウの葉はもっと大きいので、我ながらこじつけだろうなとは思いますね。

でも、もしこの絵がキヌガサソウだとしたら。
日本固有種のこの花を、ヴォイニッチ手稿の作者はどのようなルートで知ったのか。
そんなことを考えてみるのも面白いのではないでしょうか。

 

2.スミレか?フキか?

こちらもまた興味深い絵です。

特徴的な葉はフキとよく似ていますが、フキの花はこのように集合体になっています。

ところが、フキの花の一つ一つを拡大してみると、このような形をしていることが分かります。

ヴォイニッチ手稿の方は、フキの花の拡大図と葉を描いたように見えます。

 

しかし、まだフキと決めつけるわけにはいきません。

前述の「On Plants」からこの絵を見てください。

これはスミレです。

ヨーロッパで古くから薬草として利用されてきた、ニオイスミレと思われます。

https://www.flickr.com/photos/61583856@N06/

そしてこちらが白いニオイスミレ。
この写真ではよく見えませんが、花の付き方はよく似ています。

しかし、ニオイスミレにはヴォイニッチ手稿の花のような突出した“しべ”が見られません。
このため、ニオイスミレだと断定する事は難しいのです。

ただ、スミレは非常に種類が多く、400種以上あると言われています。更にその中で突然変異が起こる事も考慮すると、ヴォイニッチ手稿に描かれたような花のスミレが存在しなかったとは言い切れません。

 

<意図しない改変が識別を困難にする>

実は、中世の本草書に描かれた絵は、必ずしも真実の姿ではないのです。

古文書は多言語への翻訳や写本が繰り返されており、その過程で誤った情報に改変されるリスクが生じます。

先述の「植物図譜の歴史」よると、西暦400年頃にアプレイウスによって作成された本草書は、西暦1000年頃に当時の英語(アングロ・サクソン)に翻訳されましたが、その写本の中でユキノシタ属の一種サクシフラガ・グラヌラータは、実物と全く異なる奇妙な姿に変わっています。原画から模写した画家が、実物の姿を知らないのに想像と思い込みで描き直したのが原因のようです。

「植物図譜の歴史」より
「植物図譜の歴史」より

 

本当の姿はこちら。

「植物図譜の歴史」より

2017年、大英博物館がある古文書の電子データを公開しました。
所有者であるロバート・ブルース・コットン卿にちなんで「Cotton MS Vitellius C Ⅲ」と呼ばれるその古文書にも、なんとこの“間違った”サクシフラガ・グラヌラータが描かれています。
この絵が含まれる範囲は、11世紀初めのイギリスで模写されたもので、時期的にもアプレイウスの写本が作られた頃と一致しています。

もしヴォイニッチ手稿の植物が、このような間違った情報を元に描かれていた場合、その識別はますます困難になってしまうのです。

せめて文字が解読できたら・・・と思いますが、文字の解読の際は「せめて植物が特定出来れば・・・」と思いますし、どちらにしても進まないのでした。

赤月

赤月

幼少時代に小泉八雲の「怪談・奇談」や上田秋成の「雨月物語」を読み聞かせてもらってから怪談に興味を持ち、怪談・怪奇小説と中心としたオカルトの探求がライフワークになりました。 その他のオカルトでは、占いや世界のミステリーに興味があります。 サブスキルは絵描き。