小説版「残穢(ざんえ)」8つの謎に迫る! ※ネタバレあり
今回とりあげる作品は、小野不由美の「残穢」。
絡み合ういくつもの複雑な謎の中から、8つの謎について考察してみました。
※以下、ネタバレになりますので、小説未読または映画未見の方はご注意下さい。
目次
<あらすじ>
作家である“私”は、ある作品のあとがきで「怖い話を知っていたら教えて欲しい」と読者に呼びかけ、数々の体験談が寄せられた。
首都近郊の岡谷マンションに住む編集プロダクションのライター、久保さんの体験談もその一つで、「和室に背を向けている時、誰かが箒で畳を掃くような音がする」という内容だった。
やがて久保さんは、掃くような音と共に、「畳を這う金糸の帯のような物」を目撃する。
同じような話をつい最近読んだ気がする―そう思っていた“私”は、過去に読者から寄せられた体験談の中に、久保さんと同じ住所の物を見つけ出す。
その体験談の主、屋嶋さんは401号室、久保さんは204号室で部屋が異なるのに、同じ現象が起こっている。これはいったいどういうことか?
“私”と久保さんは調査を進めるうちに、岡谷マンションに隣接する住宅街の岡谷団地でも同様の現象が起こっていることを知り、土地そのものの因縁ではないかと考え始める。
そこで土地の歴史を辿っていくと、岡谷マンションと岡谷団地が出来るまでには、様々な怪異が連鎖していたことがわかった。
作家仲間や周囲の住民などの協力を得て、“私”達は怪異の大元が福岡県北九州市の奥山家にあることを突き止める。奥山家にまつわる怪異は「聞いただけで祟られる」と言われるほど強力で、首都近郊の岡谷マンション周辺で起こっている怪異は側枝にすぎないのだという。
北九州では、奥山家の跡に建った家も不幸が続いて没落していた。その一つである真辺家は凶宅として有名で、最後の当主は曰く付きの物品を集めては喜んでいたという。
その真辺家の廃屋が残っていると聞いた“私”と久保さんは、教えてくれた作家仲間と共に北九州に飛ぶ。
すべての始まりである奥山家の鉱山跡地を訪れた後、真辺家廃屋に足を踏み入れた“私”達は、真辺家の最後の当主が怪異と必死で戦った痕跡を見る。彼はただ悪趣味で曰く付き物品を集めたわけでは無く、神に縋り、仏に縋り、最後の手段として魔に縋っていたのだ。
ここはまさしく、全ての震源地である奥山家の屋敷跡であった。
<解説と考察>
この作品は現在から過去に向かって原因を発掘していくのですが、複数の怪異が時系列を無視して絡んでくるので、何度か読み返さないと全体を把握することは困難です。
まず、主な経緯と発生した事象を時系列で書き出してみました。
【主な経緯と発生した事象の年表】
◎明治中頃
・1890~1895年頃? 北九州の奥山家の炭鉱で大規模な事故、労働者にかなりの死者が出る
→奥山家所有の婦人画に、労働者の怨みが乗り移る
◎明治末期~大正
・1900~1903年? 奥山家の当主義宜(よしのぶ)の娘・三喜(みよし)が曰く付きの婦人画と共に、首都近郊の吉兼家に嫁ぐ
・1905年 吉兼家三男・友三郎(ともさぶろう)が精神異常発症
「焼け、殺せ」という声が聞こえると言い、家族に殴りかかったり、家に火を点けようとするため、私宅監置(座敷牢に監禁)となる。
座敷牢では、よく床下に入り込んで徘徊した
★焼け、殺せ…炭鉱の犠牲者?
・1910~1915年頃? 奥山義宜が家族を皆殺しのうえ自殺、
奥山家は途絶え、炭鉱も閉鎖
・1919年 吉兼家の菩提寺に婦人画が預けられる
・1920年 吉兼三喜死去
※吉兼家の広大な跡地は、鋳物工場と長屋になる
・1922年 吉兼家跡地で植竹工業創業
★工場での怪異…炭鉱の犠牲者
・何十人もの黒い人影
・地面の下で風が吹いているような、人の呻き声のような音
◎昭和
・1946年 植竹工業焼失(死者・重傷者なし)
★焼け跡に蠢き呻く黒い人影…炭鉱の犠牲者
・1944頃?~1948年 植竹工業隣接の長屋で中村美佐緒が嬰児を死体遺棄(殺害も?)
・1949年 長屋が取り壊される。
※工場と長屋の跡地は住宅になる
・1950年 吉兼→長屋跡地に高野家、藤原家
・1955年 高野家の娘が中絶か流産?
★赤ん坊の怪異が始まる…美佐緒の犠牲者
→ノイローゼになった高野夫人が縊死
・1956年 高野家、一周忌後に家を引き払う
・1957年 かつて長屋の住人だった方保田家で長男が家族を殺害
★床下から「焼け、殺せ」と命じる声…吉兼友三郎?
・1956~1968年以前 高野家跡地に小井戸家、松坂家
※バブル期に入るまでのどこかの時点で、藤原家が地所の一部を売り、根本家が入る。
また長屋跡の他の地所に後藤家、川原家、政春家
・1962年頃 川原家、長男和秀が精神疾患?
→家庭内暴力、悪戯電話(高額の電話代、電話で高額物品を無断で注文、放火の疑い
★家庭内暴力と放火…吉兼友三郎?
・1965年頃 川原正美(母)、脳卒中で死去
→和秀の暴力が原因との噂
・1965年頃 川原家跡地に篠山家
★1967年 政春家 床下を徘徊し不吉なことを囁くものがいる…吉兼友三郎
→祖母によれば、ずっと前からいるが悪さはしないとのこと
・1975年頃 篠山家の老夫婦死去
→関家が入居
・1980年頃 小井戸照代が癌で死去、以降次第に息子の泰志がゴミを溜めるようになる
→隙間が嫌い、隙間がある方が身体に悪い
★床下を徘徊するもの?…吉兼友三郎
・1982年頃? 政春家、新興宗教に填り転落していく
・1982年頃 関家、転居
→大里家が入居
・1985年頃 大里家、転居
→稲葉家が入居
★時期は不明だが、根本家は老夫婦で、呆けてしまった妻が「存在しない床下の猫」と縁側で話し込むようになる。…吉兼友三郎
※1987~1989年
バブル期の地上げをきっかけに、転居が相次ぐ
・松坂家は真っ先に転居
・根本家も夫が介護疲れで限界になり、息子夫婦の元へ
・藤原家は土地を高値で売って、高級老人ホームに入居
◎平成
・1989年頃 稲葉家、転居
★足音、畳の下に赤黒い染み(由来不明)
・1990年 小井戸泰志が自宅で死去
※藤原家、根本家、松坂家、小井戸家のあった場所は駐車場になり、2年ほどそのままになった
・1992~1993年 岡谷マンション完成、入居開始
※稲葉家、村瀬家、政春家も取り壊され、分譲住宅地「岡谷団地」になる
・1995年 岡谷団地の分譲開始
・1996年 岡谷団地の入居開始。
→飯田家、黒石家入居
・1997年 岡谷団地飯田家、転居
→家が売りに出される
→転居の三ヶ月後、飯田家一家無理心中
★殺人と放火…吉兼友三郎?
・1999年2月 岡谷団地黒石家、転居
★悪戯電話、足音、人の気配
同年3月 岡谷マンション401屋嶋家が入居
同年9月 岡谷団地黒石家(賃貸)に鈴木家が入居
同年10月 岡谷マンション401屋嶋家、転居
★首を吊る者…高野夫人
赤ん坊…美佐緒の被害者
同年12月頃 岡谷団地鈴木家、転居
★物音、人影(当初から)
首を吊る女性?…高野夫人
(屋嶋さんと知り合ってから)
・2001年4月 岡谷マンション204梶川さん入居
→同年9月 梶川さん、伊藤アパートに転居
★赤ん坊?…美佐緒の被害者
・2001年11月 岡谷マンション204久保さん入居
→同年12月頃 畳を擦る音
★首を吊る者…高野夫人
同年12月頭 梶川さん、伊藤アパートで縊死
・2003年2月 伊藤アパート、梶川さんが居た部
屋に住人が入居
→ひと月ほとで退去
★首を吊る女性…高野夫人
・2003年11月 岡谷マンション204久保さん転居
・2004年 伊藤アパート、梶川さんの部屋に新たな住人が入居
→三ヶ月保たずに退去
★首を吊る女性…高野夫人
・2005年 久保さん転居先で畳を擦る音を聞く
★首を吊る女性…高野夫人
・2006年末~2007年初 久保さん転居
以降、久保さんには怪異は起こらず
この年表だけでも、複雑な話であることはお分かりいただけたかと思います。
上記の他に、奥山家から移築された欄間の話や、跡地に住んだ真辺家の話もあるのですが、年代を追っていけるほど具体的な描写がなかったので、年表には入れていません。
※年表の色分けについて
赤色…北九州での出来事
青色…首都近郊での出来事
吉兼三喜死去以降はすべて首都近郊での出来事なので、
発生した怪異ごとの色分けとしました。
1.奥山家の炭鉱の犠牲者
→黒い人影、怨みを言う声、地下を風が吹くような呻き声
2.精神異常を発症した吉兼友三郎
→「焼け、殺せ」と囁き床下を徘徊するもの
3.殺された赤ん坊
→泣き声、小さな赤い手、ハイハイする物音
4.縊死した高野夫人
→着物の帯を引き摺りながら揺れる音&姿
5.由来が不明の物音や人の気配、悪戯電話
[穢れの連鎖-被害者が新たな穢れになる]
◎炭鉱の犠牲者と吉兼友三郎(第一の謎)
炭鉱の犠牲者の怨念は、奥山家の婦人画に宿り、首都近郊の吉兼家に渡りました。
「焼け、殺せ」の声に狂わされた友三郎がどんな末路を辿ったかは不明ですが、後世に現れる友三郎の霊(?)自体が「焼け、殺せ」と床下を這い回っている様をみると、どうやら奥山家の穢れに染まったようです。
友三郎の霊は、炭鉱の犠牲者の怨念と一体化したのでしょうか?
だとしたら、なぜ?
穢れの影響を受けるか受けないかは、特定の要素があるわけではないようです。
それは岡谷マンション・岡谷団地で平穏に暮らす人がいることからも分かります。
強いて言うならば、「精神的に不安定な者が影響を受けやすい」ということでしょうか。
友三郎の場合はどうでしょうか?
詳しい人物像が語られていないので憶測ですが、友三郎が発症したのは15歳。
継母の三喜がやってきたのが12か13の頃と思われます。
生母は彼を産んですぐに亡くなっているので、継母に対して反感があったかどうかは分かりません。案外すぐに受け入れたかもしれません。
しかし、それからまもなく長兄が死に、継母が宿した子は2回とも死産でした。
立て続けに起こった暗い出来事は、多感な少年の心を不安定にしたことでしょう。
そこに奥山家の穢れが染み込んでいったとしても、おかしくありません。
ただし、“私”が見た写真の友三郎は「意志の強そうな顎の線と秀でた額」とあるので、精神が不安定になって影響されたという線は、見当外れかもしれないのですが。
◇奥山家の穢れに染まった友三郎は、どんな影響をもたらしたか。
a.同じような道を辿った者
・家族を殺害し放火した方保田家の長男
・家庭内暴力と放火容疑の川原和秀
・家族を殺害・放火・自殺した飯田家の夫
b.友三郎の出現で人生が狂った者
・隙間や床下をゴミで塞いだ小井戸泰志
・新興宗教にすがり破滅した政春家
c.友三郎を認識していたが影響が不明な者
・根本家の呆けた老妻
結論)友三郎は奥山家の怪異の被害者ではあるが、最も凶悪な新たな穢れでもある。
◎中村美佐緒の嬰児殺しは、奥山家発端の穢れに影響されたのか?されていないのか?(第二の謎)
美佐緒の犯行で物証が見つかったのは、長屋を出た後の住居のみです。
状況的に長屋にいた時期の犯行と思われるものはありますが、すでに長屋は取り壊されて他の住宅が建っているため、立証は不可能です。
しかし、美佐緒が長屋に住んでいた当時、赤ん坊の怪異は現れていました。ならばやはり、その場所でも犯行があったのでしょうか。
作中で“私”は『美佐緒にまつわる残穢は、植竹工業以前にあった何かに由来している』と考えています。
ところが、事象を追っていっても、美佐緒が奥山家の怪異がらみの何かに遭遇したという描写はありません。
美佐緒の犯行は単独のもので、穢れの連鎖とは関係ないように思えます。
例えば、長屋があった時代は、栄養状態も良くなく、医者に見てもらえることも少なく、赤ん坊や子供が死ぬのはよくあることでした。そうやって死んでいった赤ん坊の霊が穢れとなって、美佐緒に影響した可能性は十分あるのです。
しかし、上記に引用した一文は、作者が「美佐緒の事件は奥山家の穢れに由来しているぞ」と示唆しているようにも見えます。
この時点で起こっている事象は、黒く蠢く人影と、「焼け、殺せ」の声、床下を徘徊する友三郎だけです。
ならば、中村美佐緒は
説1:「殺せ」という声に唆されて犯行を行った
説2:「殺せ」と囁きながら床下を徘徊するものを防ぐために、嬰児の死体を床下に埋めた
ということになるのでしょう。
しかし、美佐緒は殺したことを否認したり、逆に仄めかしたりするものの「殺せという声に従った」と供述した様子がありません。説1の可能性はなさそうです。
また、床下に埋めたという話は美佐緒が仄めかしただけで確証がないため、説2の線も濃いとはいえません。
美佐緒に影響を与えたのは、もしや三喜の死産した子供達ではないでしょうか?
奥山家の穢れが、死産だったり殺されたりした子供達と混ざり合い、怪異となって後々まで影響しているのかもしれません。
結論)中村美佐緒は、三喜が死産した子供経由で奥山家の穢れに影響された可能性がある。
◎怪異の発生期間はあるのか?(第三の謎)
年表に書き出してみると、死んですぐ怪異になるものとそうでないものがあるようです。
炭鉱の犠牲者と赤ん坊は、割りとすぐ怪異になり、長く続いているようです。
片や強い怨みを抱くもの、片や意志も意図も持たないもの、全く逆の存在であるのに同じような過程を辿っているのは不思議です。
吉兼友三郎は没年が不明なので、死んですぐ怪異になったかどうかを知ることは出来ません。
その点、分かりやすいのは高野夫人です。
没年が1955年、最初に高野夫人の怪異が確認されたのは1999年。発生まで44年もかかっています。
興味深いのは、高野夫人の怪異が出てくると、友三郎の怪異は出なくなっていることです。吉兼家は1921年に土地を離れているので、移転した先では出現が続いている可能性はあります。
ひとつ、これらの怪異について言えることがあります。
それは、出現場所に縛りがない性質である以上、ここで発生していないからと言って終息したとは限らないということです。
結論)発生期間は不明である。薄まりつつ細く長く続いていき、やがてどこかで消えるかもしれないが、消えないかもしれない。それが穢れの伝播の恐ろしいところだ。
[吉兼家についての考察]
◎友三郎の没年を推測(第四の謎)
友三郎は精神異常を発症した1905年当時、15歳だったと書かれています。
そして友三郎の出現が明確に書かれているのは、1957年3月です。
出現の少し前まで生存していたと仮定すると、
1957年-1905年=52年
52年+15歳=67歳
ということになります。
ここで1944年頃~1948年の中村美佐緒の事件が友三郎の影響だとした場合、美佐緒の最初の犯行が1945年と仮定すると、
1945年-1905年=40年
40年+15歳=55歳
ある程度長生きしたとしても、55~67歳といったところでしょうか。
もう少し早くに死亡した可能性もあります。
三喜が吉兼家に持ち込んだ婦人画は、時折嘲笑うように顔が歪み、そうすると家に不幸があるのだと伝えられています。
吉兼家の菩提寺に残っている先々代住職の記録によると、寺では施餓鬼法要の際に曰く付きの品を一堂に集めて供養しますが、法要の前夜、住職は苦しみ呻く複数の黒い人影と醜く顔を歪ませた婦人画を目撃しました。その半月後、三喜が亡くなり、住職は「吉兼家の不幸を予言するのかもしれない」と思ったそうです。
その後も2回、絵が笑ったことがあります。2回目の方の日付は不明ですが、3回目は昭和3年(1928年)6月となっています。
そのどちらかで友三郎が亡くなったと仮定すると、三喜が亡くなったのは1920年なので2回目はそれ以降、仮に1921年とすると、友三郎は31歳。3回目の1928年には38歳だから、31~38歳で亡くなったということになります。
なお、菩提寺には友三郎やその兄弟、実父の記録がないので、三喜の一周忌までは存命していたと考えられます。
◎奥山事件発生の年と三喜の没年の矛盾(第五の謎)
三喜についての記述で最初に出てくるのは、
以下の3点です。
1.三喜の死後、実家も悲惨な末路を辿った
2.実家は奥山家で福岡にあるらしい
3.三喜の遺骨は一周忌の後、実家に帰された
そして
4.奥山義宜が三喜の父親と思われる
という一文の後に奥山家にまつわる怪談としてこう書かれているのです。
5.義宜は明治の末か大正の初頭に家族を皆殺しにした
6.被害者は諸説あるが、自分の母親、妻、子供数名、その配偶者と使用人(※姪や義弟といった親族)とされている
7.事件により奥山家は途絶し、屋敷も解体され土地は売却された
しかし、年表に書き出してみると、三喜は1920年没、奥山家の事件は1910~1915年頃。事件後に奥山家の屋敷も土地も売却されたとなると、仮に生き残りがいたとしても、三喜の遺骨を受け取ることが出来たでしょうか?
もし、生き残った家族が福岡県内の他の場所に住み、三喜に所在を知らせてあれば、三喜の死後そちらに遺骨を送ることは可能です。
ただ、せっかく生き残った家族も「三喜の死後に悲惨な末路を辿った」ということであれば、なんともやりきれない話です。
また、この時代は地方の事件などほとんど記録されておらず、加えて奥山家の怪談は「語るだけで祟られる」そうなので、伝わる過程で年代がずれた可能性があります。そうすると、奥山家の事件は三喜の没年よりわずかに後であったのかもしれません。
[残穢は実話か?]
◎どれが実在でどれが虚構か?(第六の謎)
“私”=作者である小野不由美氏
はっきりそう書いてある訳ではないが、自身をモデルにしているのはまず間違いありません。
久保さんが手紙を出すきっかけになったライトノベルのホラーシリーズというのは、講談社X文庫ティーンズハートから出ていた「悪霊シリーズ」と思われますし、同業者の夫と京都に居を構えている点も同じです。
また、作家の平山夢明・福澤徹三両氏はそのまま実名で出ています。
このようにいくつもの“リアル”を織り交ぜてあるので、“フィクション”の部分も現実味を帯びてくるのです。
どの部分が実話でどの部分が創作か分からない。これも恐怖を引き出すテクニックの一つですね。
◎北九州最強という奥山怪談を追いたかったが・・・
「聞いても伝えても祟る」という話、もし本当だったとしても、調べて簡単に出てくる訳もなく、奥山怪談が本当に北九州で有名な実在する怪談かどうかを知る術はありません。
そこで、もっと単純に、モデルとなった事物があるのかどうかを調べてみました。
・顔が歪む女の絵(第七の謎)
“樹の根元に坐った女性が頭上の枝を見上げている”という構図なので、例えばこんな感じかと思われます。
もちろん、こちらは奥山家の絵ではありません。
問題の婦人画は「綺麗なお姫様の絵」で「代々、三喜の実家に伝わっていた」そうなので、大正5年(大正7年という説も)のこの作品は該当しません。
あるいは、こんな絵かもしれません。
奥山家の婦人画は戦災で焼失したということなので、ネット上で見られる画像はどれも違うでしょう。
・奥山家の炭鉱の場所(第八の謎)
奥山家の炭鉱跡地には心霊スポットとして有名なラブホテルの廃墟があり、その裏手の藪をかき分けていくと、巨大なパイプを斜めに刺したようなコンクリート製の斜坑跡がある。
・・・・・・ということですが、まず「心霊スポットで有名なラブホテルの廃墟」というのが見つかりません。
“峠を越える道の中腹の、周囲には何もない寂しいところ”だそうなので、なるべく山の方を探してみると、高塔山の近くに「ピンクの外壁の2階建ての建物、一部屋ごとに駐車場があるつくり」という描写にピッタリな廃ラブホテルがありました。残念ながら2013年頃に焼失しており、現在はブロック塀と基礎部分を残すのみです。
廃業したのが2003年、作中で”私”達が真辺家を訪れたのが2008年なので時期は合いますが、作中の廃ラブホテルは軽量鉄骨となっているのに対して、実際の廃ホテルは木造となっているところに差異があります。
そして何より肝心な、この近辺に炭鉱or斜坑跡があるかどうか。
残念ながら、調べた範囲では、このホテル周辺での炭鉱or斜坑跡情報を得ることは出来ませんでした。
北九州市内の別の炭鉱をモデルにしていると考えられますが、数が膨大すぎて特定することは困難です。北九州市近郊に住んでいる人なら、もっと詳細を知ることが出来るかもしれないので、興味のある人は調べてみてはいかがでしょうか。
[最後に・・・]
映画「残穢~住んではいけない部屋」のイメージソングとして作られた曲をご紹介します。
◎和楽器バンド「Strong fate」
ボーカルの鈴華ゆう子氏は、原作小説と映画の両方を見て作品の世界に深く入り込み、曲を作り上げたそうです。歌詞も作品とシンクロしているので、私は原作を読んだ後、しばらくこの曲を聴くのが怖くなりました。
エンディング曲としての採用ではなかったのが残念です。
ちなみに、イメージソング入りのTrailerはこちら。
通常のTrailerはこちら。