秦皮( トネリコ )の木-彼女が遺した「お客」とは?

トネリコのシルエット

15世紀~17世紀、ヨーロッパでは 魔女裁判 が行われ、多くの無実の女性が 拷問の末、処刑されました。

しかし、本当に全員が無実だったかどうか、今の私達が知ることは出来ません。
もしかしたら、本物が存在したかも?
これから紹介するのは、そんな話です。

< ストーリー>

東部イングランド、サフォーク州にある キャストリンガム邸 にまつわる話である。
1690年頃、この地方では 多くの女性が 魔女裁判 にかけられた。マザソール夫人 もその一人だ。
彼女は 他の魔女達と違って、裕福で影響力のある立場だったので、教区でも評判の良い農場主が数人、彼女を救うために尽力した。
だが、当時の キャストリンガム邸 の主、マシュー・フェル卿 が致命的な証言をした。

彼は 今までに三回、満月の晩に マザソール夫人 が彼の家の 秦皮(とねりこ)の木 から枝を集める姿を 窓から見たというのだ。
夫人は 肌着一枚で枝に登り、独り言を呟きながら 異様に曲がったナイフで 小枝を切り取っていた。

彼は 見かけるたびに 彼女を捕まえようとしたが、小さい物音でも すぐに気付かれてしまい、庭に出る頃には 村の方に一匹のウサギが走り去るのが 見えるだけだった。

月とウサギ

三度目の夜は 力の限り走って追いかけ、マザソール夫人の家に たどり着いた。そしてドアを叩いたが 応答がなく、15分ほど経って ようやく出て来た夫人は 今ベッドから出てきたばかりという様子で、非常に腹を立てていた。彼はなぜ訪問したのか うまく説明できなかったという。

この証言が 有力と認められたため、マザソール夫人は 死刑の判決を受け、5~6人の不幸な女性たちと共に 縛り首になったのである。

執行官代理である マシュー・フェル卿は 処刑に立ち会った。
他の受刑者達は 無表情だったり 悲嘆に暮れた様子だったが、マザソール夫人 は 違っていた。
狂った悪魔のような 凄まじい怒りの形相で、見物人はもちろんのこと、刑執行人さえもたじろがせたのだ。
彼女は抵抗はしなかったが、自分の首にかかる執行人の両手を睨みつけると、かすかな声で繰り返し呟いた。

「あの屋敷にはお客があるだろう」

 

マシュー卿は マザソール夫人のこうした様子を なんとも思わなかった。裁判で証言したのも、別に彼女に私怨があったわけではなく、あくまでも 目撃した事実を述べただけで、処刑も職務として 遂行しただけなのだ。

それから数週間後の満月の夜、屋敷の裏手の砂利道を 教区の牧師と共に歩いている時だった。
マシュー卿は、屋敷のすぐそばにある 大きな 秦皮の木 の方を見ながらこう言った。

「秦皮の幹を 上に下に走り回っているのは 何だろう?リスではないだろうな?彼らは今頃は 巣にいるはずだから。」

牧師も 動き回る生き物を見たが、月明かりでは その色すらも 分からなかった。
しかし、一瞬見えた鮮明な輪郭は、彼の脳裏に焼き付いた。彼が誓って言うには、そのリスのようなものは -馬鹿げて聞こえるかもしれないが- 4本以上の足があったそうだ。

 

翌朝、マシュー卿は 自室で死んでいるところを 発見された。その体は 腫れあがって 黒く変色しており、ベッドは ひどく乱れて 苦痛にのたうち回った様子がうかがえた。

横たわる人影

窓は開いていたが、暴力を受けた痕跡はなかった。
寝酒用の酒を調べても 毒物は出てこなかった。
だが、遺体の皮膚に 二つの小さな穴が開いていたので、ここから毒を注入されたと推測された。

前夜 マシュー卿と会っていた牧師も、連絡を受けて 駆けつけていた。牧師は 卿の聖書に目を留め、ふと 聖書占い をしてみようと思った。聖書を適当に開いて 指さしたところを読むのである。
3回繰り返した結果はこうだった。

開かれた聖書

 1.これを伐り倒せ(ルカ伝13章-7)

 2.ここ住むもの永くたえ(イザヤ書13章-20)

 3.その子等もまた血を吸ふ(ヨブ記39章-30)

 

マシュー卿の跡を継いだ息子は、父の死んだ部屋を使わず、時折訪れる訪問客にすら使わせなかった。
息子は 1735年に死んだが、彼に関しては これといった事件はない。
ただ、キャストリンガム所有の家畜の死亡率は、年々上がっていた。夜の間は小屋に入れて 野獣に襲われないようにしていたのだが、それでも原因不明の症状で死ぬ家畜が多かった。

マシュー卿の孫であるリチャード卿の時代に、教会の改築工事が行われた。
その折に、教会の北側にある 罪人達の墓地 が掘り起こされたのだが、マザソール夫人の墓の中は空っぽだった。棺は壊れていないにも関わらず、中には骨の欠片すらなかったのである。

空の棺
copyright:Ted(https://www.flickr.com/photos/frted/)

 

皆は 40年前の 魔女狩り や 裁判 の話を思い出したが、リチャード卿は 革新的な考えの持ち主だったので、マザソール夫人の棺 を焼き払わせた。

1954年のある日、リチャード卿は 自分の部屋の位置が気に入らず、他の部屋に移ろうと考えた。
彼が望む条件に合致するのは、故マシュー卿の部屋 だけだったので、家政婦が反対するのも聞かず そこに移ることに決めた。
ちょうどそのタイミングで、一人の青年が リチャード卿を訪ねてきた。彼-クローム氏は、かつて故マシュー卿と親交があった 教区牧師の孫である。
クローム氏の持って来た 教区牧師の書き付けを読んでみると、先述のようなマシュー卿の死の様子 や 聖書占い のことが分かった。

「伐り倒せというのが あの秦皮の木のことなら、私がそれを実行すれば 祖父も安心するだろう。あんな カタル や マラリア の巣のような物は、見たことが無いからな。」

そして本棚から 故マシュー卿の聖書を取り出すと、自分も同じように聖書を開いてみた。

「どれどれ。“ 汝、朝に我を尋ねたまふとも 我はあらざるべし ”とな!やれやれ、私にこんな預言は 必要無い。みんな作り話だ。それはそうと クロームさん、あなたがこれを持って来て下さったことには とても感謝しています。あなたはお急ぎなのでしょう?せめてもう一杯 いかがですかな?」

リチャード卿は クローム氏の物腰や礼儀正しさを 好ましく思っていたので、丁重にもてなして送り出した。

その日の午後は 予定していた明日の狩猟のための客を迎え、夕食や歓談を終えると 各自寝室に引き上げた。

翌朝、リチャード卿は寝不足で、銃を手にするのは気が進まなかったので、キルモアの司教と話し込んでいた。
司教はリチャード卿の寝不足を心配し、アイルランドの田舎では、秦皮の木の傍で寝ると ひどい悪夢を見るという言い伝えがあることを話した。

「あの木は 明朝伐り倒しますよ。昨夜は 窓を閉めていたのだが、枝が窓ガラスをかすって ガサガサとうるさかったものですから。」

リチャード卿はそう言ったが、司教がガラスと木の間は 30㎝くらい離れており、よほどの風が吹かないと 枝が窓に触れることはないことを指摘すると、首を傾げた。

「では昨夜、窓ガラスを引っ掻いたり、ガタガタ鳴らしたものはなんだろう?しかも 敷居の埃の上に 線や跡が残っていた。」

結局、ネズミが蔦を伝ってやって来たのだろう、ということになり、話は終わった。

僅かな月明かり
copyright:allenran917(https://www.flickr.com/photos/allenran917/)

その夜、リチャード卿は 故マシュー卿の寝室で眠りについた。外はまだ暖かいので、窓を開けてある。

枕元には ごく僅かな光しかないが、奇妙な動きが見られる。
リチャード卿が 頭を素早く動かしているようだ。衣擦れの音がしている。
暗がりの中で、彼の茶色がかった丸い頭は まるでいくつもあるかのように見えるほど、そして胸につくほど 激しく前後に動いている。それは恐ろしい幻影だった。それ以上のものはあるだろうか?
ほらあれ!なにか子猫のような柔らかいものが ベッドから飛び降り、窓から素早く出ていった。
それ以降は再び静かになった。

 

 “ 汝、朝に我を尋ねたまふとも 我はあらざるべし ”

 

マシュー卿と同じように、リチャード卿もベッドで黒くなって死んでいた!

知らせを受けて 窓の下に集まった客や召使い達は、青ざめて ひそひそと囁き合った。
キルモアの司教は木を見上げて、下の方の大きな枝の股にうずくまった白い雄猫が、木の幹に開いた穴を 見下ろしているのを 眺めていた。猫は木の中の何かを 興味津々で見ているようだった。

枝の上の白猫
copyright:Andrew(https://www.flickr.com/photos/polandeze/)

 

突然、猫が起き上がり、穴の上に首をのばした。その足元が崩れて 中に転がり落ちたので、一同は音のする方を見上げた。
猫の物と思えない程 恐ろしい悲鳴が二声、三声あがり、若干暴れるような音がした後、静かになった。
客の女性は卒倒し、家政婦は耳を塞いで逃げ出し、テラスにうずくまった。
キルモアの司教と もう一人の男性客は その場に残ったが、二人とも震え上がっていた。

「私達の知らない何かが、木の中にいるようですな、閣下。すぐ調べなくては。」

男性客-ウィリアム卿は 司教の同意を得ると、庭師に見に行かせた。
ランタンをロープで降ろす庭師の顔が 黄色い光に照らされるのを見るうち、彼は信じられない恐怖と 強い嫌悪の表情を浮かべ、恐ろしい声で叫びながら 梯子から落ちてきた。幸い、庭師は下にいた二人に抱き留められたが、ランタンはそのまま木の中に落下した。
穴の底で壊れたランタンから 積もった枯葉に火が移り、みるみるうちに 秦皮の大木全体に火が回った。
ウィリアム卿と司教は、人をやって武器になる物を 持って来させた。木を隠れ家にするものが 火に追われて外に出てくるのに備えたのだ。

その読みは当たっていた。
まず最初に、火に包まれた丸い物体 -それは人の頭程の大きさだった- が木の股のところに突然現れ、飛び出せずにまた落ちていった。

燃えさかる火の玉
copyright:Simon Law(https://www.flickr.com/photos/sfllaw/)

 

これを5,6回繰り返し、それから同じような丸い物が 空中に飛び出して草の上に落ちた。それはすぐに動かなくなった。

なんとそれは、巨大なクモの死骸だった!

そして火の勢いが弱まってくるにつれて、同じような、しかしもっと恐ろしい姿のクモが 木の幹から出てくるようになり、それらは 灰色がかった毛で覆われていた。

秦皮の木は一日中燃え続け、それが焼け落ちてしまうまで 人々はそばについていた。そして、時折、飛び出してくる怪物を殺していった。
そして何も出てこなくなってだいぶ経ってから、彼らは用心深く 木の根を調べた。

地下の穴の中に、煙に巻かれて死んだ怪物が 2~3体見つかった。
だが、それよりも奇妙だったのは、穴の片側の壁のところに、人間のミイラか骸骨というべきものが うずくまっていたことだった。

うずくまるミイラ

骨の上に干涸らびた皮膚がついており、黒い髪とおぼしき物も残っていた。そしてそれは間違いなく 女性の死体であり、死後50年が経過したものだった。

“Ash tree”-M.R.James

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< 解説 と 考察 >

世の中の人は、 ヘビ嫌い (足がないものが怖い) と クモ嫌い (足が多すぎるのが怖い) に大別できるという話を 聞いたことがありますが、M.R.ジェイムズは クモ嫌い に違いありません。
なぜなら、この「秦皮の木」もそうですし、他の作品でも 恐ろしい怪物の描写に “ クモを人型にしたような ” という表現が あったからです。

さて、 クモ嫌い の私としては、秦皮の木に巣食う怪物の正体は 衝撃的でしたし、庭師の恐怖の表情や 火だるまになった怪物の様子などをありありと 思い浮かべることが出来ます。なんて恐ろしい話だろう と思うのですが、 ヘビ嫌い の人はどう感じるのでしょうか?果たして、 クモ嫌い と同じだけの恐怖や嫌悪を 感じるでしょうか?
そう考えると、この話は読む人によって 印象が変わるのだろうと思います。

ひとつ、共通して怖さを覚えるだろうと思う点は、マザソール夫人の怨念です。
彼女の最期の言葉通り、キャストリンガム邸には 招かれざる客があったわけですが、これは ただ呪いの言葉が具現化した というだけではありません。
聖書占いが示した 「その子等もまた血を吸う」 という言葉と、穴の底で マザソール夫人の亡骸が 見つかったことから、この招かれざる客達は マザソール夫人から生まれた子等、マザソール夫人の分身 と受け取れます。死後、魔術の力を借りて 自ら復讐に来たわけです。それもわざわざ 醜悪な姿になって。
なんとも嫌らしく 陰鬱なやり方ですね。

 

◎ 聖書 占い に引用された箇所について

ところで、聖書占いの「伐り倒せ」とか「血を吸う」という文句は、決してM.R.ジェイムズの創作ではありません。
以下に、各箇所の全文を引用しました。

 

1.ルカ伝13章-7

“ 園丁に言ふ「視よ、われ三年きたりて 此の無花果の樹に果を求むれども得ず。これを伐り倒せ、何ぞ徒らに地を塞ぐか ”

(そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』)

 

2.イザヤ書13章-20

“ ここに住むもの永くたえ 世々にいたるまで居ものなく アラビヤ人もかしこに幕屋をはらず 牧人もまたかしこにはその群をふさすることなく ”

(ここにはながく住む者が絶え、世々にいたるまで住みつく者がなく、アラビヤびともそこに天幕を張らず、羊飼もそこに群れを伏させることがない)

 

3.ヨブ記39章-30

“ その子等もまた血を吸ふ 凡そ殺されし者のあるところには 是そこに在り ”

(そのひなもまた血を吸う。おおよそ殺された者のある所には、これもそこにいる)

 

また、リチャード卿が引いた箇所は 出典が記されていませんが、これは ヨブ記7章-21 です。

“ 汝なんぞ我の愆を赦さず 我罪を除きたまはざるや 我いま土の中に睡らん 汝我を尋ねたまふとも 我は在ざるべし ”

(なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、わたしの不義を除かれないのか。わたしはいま土の中に横たわる。あなたがわたしを尋ねられても、わたしはいないでしょう)

※「朝に」という部分は、訳によって記述があったりなかったりします。

私はこの話を読むまで、聖書で占いをすることなど 思いもよりませんでした。キリスト教と、占いという 異教的で魔術的なイメージの物が 結びつかなかったからです。
この話を読んで、私も一度 聖書占いを試してみたことがあるが、残念ながら 意味のある言葉にはなりませんでした。

ところで、海外の映画やドラマには 聖書の言葉がよく出てきますし、マタイ何章の~ とか、誰々の福音書に~ というセリフが サラッと出てきます。
多くの日本人にとって 聖書は非日常的で特殊な感じがするものですが、キリスト教圏の人達にとっては、日常に溶け込んでいるものなのだな、と気付かされます。

 

◎ トネリコ という木

セイヨウ トネリコ
セイヨウ トネリコ  copyright:Dave Collier(https://www.flickr.com/photos/casamatita/)

トネリコは種類が多いのですが、イギリスに多いものなら Fraxinus excelsior(セイヨウ トネリコ)と思われます。

大きく成長する落葉広葉樹で、ヨーロッパでは30m以上の物もあるそうです。
木質は固く 丈夫で粘りと弾力性があるので、家具の他 テニスラケットやバット、杖などに使われます。
一方で、オーク(楢)より腐りやすいので、建物の土台への使用は あまり向かないとか。

生木でもよく燃えるので、大昔から薪として利用されてきました。

作中でも、秦皮の木に火が移り、あっという間に炎上する場面がありますが、この性質を知ると納得できます。高く積み上げた薪に 火を点けたようなものでしょう。

古いトネリコの大木

この写真は、あるイギリスの女性が 隣家のトネリコを撮影したもの。
この古くて大きいトネリコは、隣家よりも彼女の家に近い場所に立っているのですが、常に軋む音がしているので、いつ自分の家に枝が降ってくるか 恐くてならないそうです。
女性が皆に写真を見て貰い、どれくらい危険に見えるか尋ねたところ、

・トネリコの正式名である Fraxinus は「簡単に壊れる」という意味で それは偶然の一致ではない、トネリコが枝を突然落とすことは有名だ

・枝が折れやすいという彼の言葉には同意だ、それが家に近いかどうか心配だ

という回答が寄せられました。検索しても セイヨウ トネリコ の枝が折れやすいといった結果は出てこないのですが、少なくとも 実際に接した人の中には 共通の認識があるようです。

ちなみに、この写真の木は、懸念通り 大きな枝を彼女の家の方に落としてきたそうです。彼女は 樹木医に相談することも考えていたようですが、その後どうなったかは 残念ながら不明です。


この記事はこちらの原文を赤月が訳したものを載せています。

聖書の訳はWikisourceより引用しました。

・ルカ伝  文語訳 口語訳
・イザヤ書 文語訳 口語訳
・ヨブ記  文語訳 口語訳

赤月

赤月

幼少時代に小泉八雲の「怪談・奇談」や上田秋成の「雨月物語」を読み聞かせてもらってから怪談に興味を持ち、怪談・怪奇小説と中心としたオカルトの探求がライフワークになりました。 その他のオカルトでは、占いや世界のミステリーに興味があります。 サブスキルは絵描き。