【破約】―破られた約束の結末は・・・・・・

 

 

<ストーリー>

ある武士の妻が、まもなく臨終を迎えようとしていた。

「わたくしは、死ぬ事は恐くありません。ただ・・・・・・どんな方が後添えになるのか、それだけが気がかりなのです。」

夫は心から妻を愛していたので、こう答えた。

「何を言うのだ。私は後添えなどもらわない。」

それを聞いた妻は弱々しくほほえんだ。

「誓って下さいますか?」
「もちろんだ。武士に二言はない」

そこで妻は、自分の亡骸を庭の梅の木の下に埋めてくれるよう頼んだ。それは二人で一緒に植えた思い出の木であった。
また、巡礼が持っているような小さな鈴を棺に入れて欲しいとも願った。
夫がどちらも叶えようと約束すると、妻は幸せそうにほほえみ、息を引き取った。

残された夫は約束通り、妻の亡骸と小さな鈴を、彼女が好きだった梅の木の下に埋めた。そして梅にちなんだ戒名を刻んだ立派な墓石を建てた。

梅の花

 

しかし、もう一つの-おそらく最も大事な-約束は、守ることが出来なかった。

親戚や同僚達に、「新しい妻を迎えて、家を継ぐ子孫を残すことが武士の務めであろう」と、再三再四説得された夫は、折れざるを得なかった。

そこでこの家には、年若い新妻が入ることとなった。

夫は庭で眠る妻に対して罪悪感はあったが、新しい妻も愛したのであった。

 

結婚して七日目の夜。
夫はその晩からしばらくの間、お役目で城中に出仕せねばならなかった。

ひとり屋敷に取り残された新妻は、言いようのない不安に襲われ、なにがどうというわけでもないのだが、恐ろしい気持ちになって仕方が無かった。

障子に映る影

 

床についても眠れぬまま、丑の刻を迎えたころ、外の少し遠くでチリンチリンという音がした。巡礼の鈴の音のようであった。

(こんな時分に、巡礼が?しかもこんな武家屋敷の辺りを・・・・・・)

不思議に思い耳をそばだてたが、鈴の音は聞こえなくなった。

(気のせいかしら・・・・・・)

そう思っていると、今度は近くから鈴の音がした。
間違いなく、屋敷に近づいている。
それも、道のない裏の方から。

ふいに、犬がけたたましく吠えたてた。
まるで狂ったような、いつもと違う吠え方に、新妻は恐ろしくなった。
召使いを呼ぼうとしたが、なぜか体は動かず、声を立てることも出来なかった。

犬はますます尋常ではなく吠え狂い、その間にも鈴音は庭を通り、部屋に近づいてくる。

不気味な縁側

 

やがて、どこからともなく、一人の女がすうっと入って来た。
経帷子をまとい、巡礼の鈴を持ったその女は、顔に被さる乱れた髪の間から新妻を見下ろした。

 

その顔には目も舌も無かった。死んでから時間が経った顔だった。

 

「おまえはこの家にいてはならぬ。
出て行っておくれ。
だが、出ていく訳を誰にも言ってはいけないよ。
もしあの人に知れようものなら、おまえを八つ裂きにしてくれる!」

そして女は消えた。
新妻は恐ろしさのあまり、気を失ってしまった。

 

格子窓と木立

 

その恐ろしい記憶は、日中の明るいうちに思い返してみると、ただの悪い夢のようにも思われた。
ただ戒めは守って、昨夜の話は誰にも打ち明けなかった。

しかし、また夜が訪れると、同じ事が起こった。
女も昨夜より近づいてきて、新妻の顔をのぞき込んで顔をしかめた。

 

翌朝、夫が城から戻ると、新妻はすぐに離縁を願い出た。
夫が驚いて理由を聞き出そうとしても、新妻は泣くばかりで決して言おうとしない。

「そなたに何の落ち度もないのに親元に帰したとあっては、私も申し訳が立たぬ。なにか弁明できるだけの正当な理由があれば、離縁状を書いてやることも出来ようが・・・・・・理由もなく離縁はできぬ。家名を傷つけることにもなりかねない。訳を話しておくれ。」

そうなると新妻も打ち明けない訳にはいかなかった。
全てを話した後、彼女は震えながら付け加えた。

「あの人は、私を許さないでしょう。
殺されます!・・・
きっとあの人に殺されます。」

夫の方は、話を聞いて驚いたものの幽霊などは信じていなかった。そこで新妻を安心させるためにこう言った。

「誰かに変な事でも吹き込まれて、悪い夢を見たのであろう。しかし、一人で不安な思いをさせてしまったのは悪かった。私は今夜もお城に行かねばならぬから、家来を二人、見張りに残していこう。立派な者達だから、そなたも今夜は安心して眠れるだろう。」

新妻も夫の優しい気遣いや頼もしい言葉に安心した。
それで、このまま屋敷にとどまることにしたのである。

和室と着物の女性

 

 

主人の年若い妻を任された二人の家来は、女子供の保護に慣れた者達だったので、面白い話や冗談などで新妻の気持ちを明るくしてくれた。お陰で新妻は安心して眠りにつくことが出来た。

 

そして、丑の刻。

 

新妻は跳び起きた。
鈴の音が聞こえたのだ。もう、すぐ近くまで迫っていた。

不気味な和室

新妻は悲鳴を上げ、二人の護衛のところに飛んで行った。
彼らは碁盤の前で、互いの目を見つめるようにして座っていた。
しかし、いくら大声で呼びかけても、体を揺すっても、二人は凍り付いたように身動きしなかった。

 

―後で彼らが語ったところによれば、二人は鈴の音も、新妻の叫び声も聞こえていた。彼女が自分達を揺り起こそうとしたことも知っていた。

しかし、身動きもできず口もきけず、怪しい眠りの中にいたのであった。

 

 

明け方、城から戻った夫が目にしたのは、血だまりの中に横たわっている新妻の死体だった。
主人の叫び声にハッと跳び起きた二人の家来も、呆然とその光景を眺めた。

 

新妻の首はもぎとられ、どこにも見当たらなかった。

 

血の滴りは部屋から縁側の角に向かい、そこの引き剥がされた雨戸から外へと続いていた。

縁側と庭

 

三人は血の跡をたどって、庭-いちめんの草地-砂場-池の岸に沿って歩いていった。やがて杉や竹の陰気な木陰の下に出て、その角を曲がったところで、
恐ろしい物と対面した。

 

それは長い事埋葬されていた女の姿で、蝙蝠のような声を立てながら墓の前に立っていた。
一方の手には鈴を持ち、もう一方の手には血の滴る首を掴んでいる。

女の幽霊

三人は呆然と立ちすくんでいたが、家来の一人が我に返り、念仏を唱えながら刀で切りつけた。
すると、女の姿をしたものは崩れ落ち、ぼろぼろの経帷子と骨と髪の毛の残骸の中から、鈴が鳴りながら転がった。

しかし、肉の落ちた骨ばかりの右手は、手首から切り落とされながらものたうち、新妻の血のしたたる首を掴んで引きむしり、ずたずたにしていたのであった。

 

出典:小泉八雲「怪談・奇談」

[解説と考察]

◎巡礼が持つ鈴の意味

巡礼が持つ鈴

お遍路が持つ鈴は「持鈴(じれい)」と呼ばれ、もともとは道中の獣よけに使われていたものです。

また鈴の響きには、お参りする者の煩悩を払い、清浄な心にする力があるとされています。
残念ながら、この作品の死者が持つ鈴は、そういった力を発揮することは出来なかったようですが…。

 

◎丑の刻は何時か

季節によりやや変動するようですが、概ね午前1時から午前3時が丑の刻になります。
一刻は更に30分ごとに4つに区切られ、よく怪談に出てくる「丑三つ時」とは午前2時から2時半のことです。

 

◎武家屋敷の庭に墓が作れるのか?

墓石

★庭に墓を作っても良いのか?

現代日本においては違法です。
しかし「墓地、埋葬等に関する法律」が作られたのは、昭和23年5月31日のことですから、それよりはるかに以前のこの時代には、問題はなかったと思われます。

★軒先に墓があるのか?

現代日本の家の庭を基準にすると、窓を開ければ目の前に墓というイメージですが、武家屋敷はかなり敷地が大きいですし、本文の描写を見ても、なかなか広そうな様子。

「―いちめんの草地を越え、砂場を通って、周りに菖蒲を植えた池の岸に沿っていき、杉や竹の陰気な木陰の下へ出た。そして角を曲がると―。」

現存する武家屋敷を訪れた経験があれば、イメージしやすいかもしれません。家屋から少し離れた場所に池があり、その先が鬱そうとした木立になっている場所はよくあります。
従って、庭の梅の木の下に埋めたといっても、家屋の直ぐ目の前ではなく、敷地内の林の中と考えるのが良いでしょう。

 

◎夫はどれくらいの地位の侍か?

本来は武家が所有した屋敷を武家屋敷といいます。
※武家…軍事を主務とする官職を持った家系・家柄の総称
従って、本作の屋敷は「侍屋敷」と呼ぶのが妥当と思われます。

しかし、侍屋敷は仕える主人から与えられるもので、地位が変わったり主人の所領が変われば、屋敷を移ったり明け渡したりしなければなりませんでした。
ただし、上級の武士になると、郊外に私宅を構えることがあったようです。これが下屋敷です。

庭に妻を埋める事が出来るということは、その地を離れる可能性が限りなく低いことを指します。従って、この家は夫の私宅であり、それが許されるほどの上級武士であったと考えられるのです。

 

◎復讐の矛先は男女で違う!

この作品はこう締めくくられています。

私は言った。
「酷い話だ。死者の復讐は男に対して為されるべきだったのだ。」
しかし、この話をしてくれた友人はこういった。
「男性はみなそう考えます。しかしそれは女性の考え方ではありません。」

その友人の言ったことは正しかった。

これは実際には友人ではなく、小泉八雲の妻であるセツとの会話です。
男性は八雲のように考え、女性はセツのように考えるのでしょうか?
少なくとも私自身に関しては、その通りです。

それにしても、最後に「その友人の言ったことは正しかった」と締めくくっている辺り、八雲は何か女性の恨みを思い知るような目にあったのでしょうか。

 

初出:2017年2月6日
再掲:2020年9月21日
赤月

赤月

幼少時代に小泉八雲の「怪談・奇談」や上田秋成の「雨月物語」を読み聞かせてもらってから怪談に興味を持ち、怪談・怪奇小説と中心としたオカルトの探求がライフワークになりました。 その他のオカルトでは、占いや世界のミステリーに興味があります。 サブスキルは絵描き。